2023/12/17 16:58

ある晴れた日にブログを始めます。

「ある晴れた日に」というのは佐賀県佐賀市にあるお洋服のセレクトショップの店名です。
店主である私髙尾が好きなバンドの曲の邦題から名付けました。
(正確にいうとCDのブックレットに記載されている邦題ではなく、ネット上でどなたかがこう訳されていたのがいいなと)
穏やかな陽の光の中、各々が思い思いの時間を過ごすことができ、お気に入りを見つけて、それを生活に取り入れてもらいたいなの願いを込めて。


店主について

幼少期〜高校

髙尾由美子(たかおゆみこ)

1975年 佐賀県生まれ

洋裁師の母のもとで育ち、幼い頃は何かの時にはほとんど母が服を作ってくれていました。
冠婚葬祭や保育園のお遊戯会、旅行、もちろん普段着も。


左が結婚式用、右が告別式用に母が作ってくれたワンピース

母と一緒にスタイルブックを見てはどのデザインにしようかと決めさせてくれて、生地も一緒に生地屋さんに選びに行っていました。
今思うと、なんと贅沢で素敵な時間であったことか。

とにかくお洋服のことを考えるのは大好きでした。でもそれが特別だとも思ったことはなく、いつもいつも普通に身近にありました。
お洋服のことを意識した一番古い記憶は、母と祖母と一緒にお出かけした際、今まで着たこともなかったようなレース編みのカーディガンを着させてもらったことです。確か誰かの手作りだったと思いますが、エンジのカラーに驚き、お姉さんになったような気分でした。(この時おそらく保育園児)

小学生になったら、母が作る以外の服にも興味を持ち始め、デニムにサスペンダーをつけたり、バンダナをベルトにしたり、いろんなことを試していました。
私の世代は着せ替え人形といえばジェニーちゃん。もちろんどハマりして、机の棚に服と共にディスプレイしたり、母に服を作ってもらったり。この頃サーキュラースカートとか、ティアードスカートなどの用語を覚えました。
その頃読んでいた雑誌に「ジェニーちゃんドレスデザインコンテスト」なるものがたまに開催されていて、その度に応募したり。一度も賞などに引っかかったことはないけど、夢中でした。

高校生くらいになると雑誌「MC sister」や「Olive」の世界にどっぷり浸かっていました。MC sisterにコンサバやトラッドを、Oliveに自由な世界を教えてもらったような気がしています。
誰がなんと言おうと、Oliveがあったあの時代をあの年代で過ごせて本当によかった。

そして進路を考える時期になった時、特段勉強ができるわけでもなく、得意なことがあるわけでもなかった私。
本を読むことは他より少しは好きだから、図書館司書になれる進路を選択しようとしていました。
そんな時、どこかで誰かに「好きなことを仕事にしたらいい」というようなことを言われ、単純な私はファッションの道を志そうと一歩を踏み出したのです。


専門学校〜東京時代

デザイナーとして服を作り出すことよりも、いろいろなアイテムをテーマに沿ってコーディネートするスタイリストの仕事に興味のあった私は、ファッション専門学校のファッションビジネスコースに進学しました。

田舎から東京に出てきて、それはまぁ色々ありました。
田舎者だとかセンスないとか言われ、その通りだったのでしょうが、立ち上がれないほどに墜ちていきました。
専門学校を1年で中退してスタイリスト事務所に就職し、4年ほどそういった仕事を経験。舐められまいと必死で、だいぶ自分を見失っていた頃です。
この頃仕事でお世話になった方々には迷惑かけどうしだったと思うと、申し訳なくどうしようもない気持ちになります。

スタイリスト事務所を辞めてからも数年東京で働いていましたが、誰とも話せない、電車でも道を歩いていても涙が止まらない…という状況になり、これはきっとまずいことになっていると、実家に助けを求め帰郷することになりました。


帰郷〜結婚、バッグ作りを始める

啖呵を切って家を飛び出したのに、何者にもなれず、なんならボロボロの状態で帰ってきたことに、申し訳なさと恥ずかしさで家の玄関を入ると、何やら沢山の人が。近所の人や親戚がうちに集っていて何事かと思ったら、翌日ビニールハウスにアスパラの苗を植えるとのこと。父が会社を早期退職してアスパラ農家になっていたのです。
おずおずと「帰ってきました…」というと、その中の一人が「よかさ〜、自分の家やろうもん」と。怒られると思ってビクビクしていた私は心の底からホッとしました。(これを書いている今も涙が出てくる。)
そして次の日からアスパラの作業を手伝うことになりました。
土に触れ、体を動かし汗をかくことで、だんだんと平常心を取り戻していったのです。

当時も母の洋裁部屋は健在でした。
直線縫いのミシンとロックミシン、裾上げ用のミシンも。
生地も山のようにあるし、芯や糸、ファスナーなど材料も沢山。
ファッションの世界はもういいかなぁと思いつつも、自然と手を動かし何かを作ることを始めました。

帰郷して数年後、知り合った人と結婚、出産。子育てしながら働くにはちょうどいいと、実家の農業の手伝いは続けていました。(長男を出産してまもない頃父が亡くなったこともあり)
その合間に母の作業部屋で行うモノづくりも並行して続けていて、たまに子育てを通じて知り合った方から、当時流行っていた「ワンデーショップ」に誘ってもらって出店することもありました。その頃作っていたのは、スタイや巾着、ミニリュックなど主に子供に関する所謂「布小物」。手に取っていただけたという喜びはもちろんありましたが、続けていくうちに、きちんと仕事として成立させたいと思うように。
そんな時、友人の一人から「赤いバッグを作ってほしい」と依頼を受けました。サイズの指定はありましたが、デザインや素材はお任せすると。それをきっかけに誕生したのが帆布バッグブランド「CUBIE(キュビィ)」です。


CUBIEのコンセプト

通常はシンプルなバッグを作っていましたが、アイコン的にこんなモザイクバッグも。
(初期の頃作ったのもので、縫い目に少し歪みが…)


CUBIEからある晴れた日にへ

CUBIEを始めたのが2012年秋。
主にセミオーダーで沢山のバッグを制作させていただきました。
バッグを作る毎日でしたが、着画を撮ったりしていると、やはりお洋服も絡めてご提案したいと思うように。
そこで、その頃の工房が手狭になって新しい場所を探そうとなった時に、バッグだけでなくお洋服や靴、アクセサリーなど、トータルでご提案できる場所(お店)を作ろうと、ある晴れた日にが2020年2月16日にオープンしました。


オープン準備中にミシンを入れた日。私の片腕ゆっこ氏と共に。

これも準備段階。棚にバッグを並べたところを確認。

試着室のカーテンもここで縫いました。

友人のお菓子作家tottoさんが開店祝いにフラワーケーキを!


現在

オープンしてしばらくは店内でバッグを製作しつつ、並行してお洋服や靴、アクセサリーなどを販売していましたが、ご紹介したいブランドやアイテムが増えるにつれ、バッグを常時作り続けることが困難になり、現在CUBIEのバッグはカラーオーダーを受け付けています。

お店をオープンして3年余り。私もアラフィフと言われる年代に。お洋服との付き合い方も少しずつ変わってきました。
幅広い年代のお客様とお話しさせていただくことで、皆さんがどんな風におしゃれを楽しみ、どんなことでお悩みになっているのかもわかるようになってきました。
私は今まで、お洋服やおしゃれを楽しむことについて、ずっと深く考えてきました。私がごく普通になんでもなく行っていることが、もしかしたら、少しだけでも皆さんのお役に立てることがあるかもしれない。おしゃれを楽しむきっかけになるかもしれないと思ってこのブログを立ち上げました。

ある晴れた日にともう一つのサービスとして「服とおしゃれの相談室"el"(エル)」があります。


elのパンフレット。新しいサービスも計画中。

elのコンセプトは「好きな服を楽しく着て、人生を動かす。」
そのコピーの一節に
ー『人生を変える大きな転機も、きっかけはほんの小さな行動だったりします。そして、好きな服を楽しく着ることはそのための背中を押してくれると、私は思うのです。』
とあります。
きっかけの一つとしてある晴れた日にが、elがお役に立てたらと思い、私が日々気にかけていることや考えていることなど綴っていきたいと考えています。

長くなってしましました。ここまで読んでくださりありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。


ある晴れた日に
髙尾由美子